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若い頃(と言っても10年程前)は、

 何が正しくて何が間違ってるか

 自分に何が必要で何が不要か

が分からず、選択する自信もなかったので、
とりあえずがむしゃらに全部拾ってきた。

出された物はとりあえず全部食べる みたいな。



年をとるにつれて、変な自信やプライドが少しずつ身を固め、
食べる前に

 これは自分にはいらない

 自分にとってマイナスだろう

みたいな判断がつくようになってきた。(つもりになってる。)



その判断の精度は若い頃に比べて高くなってきてるとは思うけど、
当然間違ってることもある。

食べれば実はすごくプラスになることも、
誤った判断で食べずに捨ててしまうことが多々ある。

多分。

もったいない判断もあったでしょう。



「若さ」「青さ」「恐いもの知らず」とか、
「年季」「成熟」「腰の重さ」とか、
どちらにも偏らずちょうど良いバランスを保つには、
きっと考え過ぎないのが良いんだろうな と、ふと思いました。



10年前と比べると、恐いものは増えたような気がします。

これからが楽しみです。
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マニュアル車主流の時代を知りませんが、
きっと今ほど車間を詰めて走れなかったのではないかと思います。

オートマ車は、

 ブレーキランプが点く ≒ 減速する

なので、
「前の車のブレーキランプを見て走ってれば良い」
という考えで走れば車間は狭められると思います。

ですが、マニュアル車はエンジンブレーキもよく使うと思うので、
前の車のブレーキランプだけを頼りにする訳にもいかないでしょう。

きっとその頃のドライバー達は、
ブレーキランプも参考にはしたと思いますが、
主に「スピード感」と「距離感」で自車のスピードをコントロールしていたのでしょう。

僕もオートマ車に乗っていますが、
たまに後ろの車にあおられた時にエンブレかけると、
後ろの車はビックリしてさがってくれます。

。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 。 

オートマ車が主流の今、もしみんなが
「前の車のブレーキランプを見て走ってれば良い」
と考えて車間を詰めた走り方をしていると、

 前の車のブレーキランプが点く
  ↓
 その後ろの車もブレーキを踏む
  ↓
 更にその後ろの車も…

という風に、いわゆる「自然渋滞」が起こる一つの原因になっているように思えます。

昼間の高速道路でトンネルが少し混み合うのは、
ヘッドライトを点灯すると同時に尾灯が点き、
後ろの車がブレーキと思って速度を落とすからだと思います。

夜のトンネルは車が多くても流れるスピードが変わらないからです。




少し話は変わりますが、
「ブレーキをかける」
ということは
「スピードを殺す」
ということです。
(あたりまえか。)

つまり、せっかくガソリンを燃やして作り出した運動エネルギーを、
熱エネルギーにして大気中に逃がすということです。

この熱エネルギーは何にも利用されません。

まさにガソリン燃やし損。

燃費悪し。




上記の2つの理由より、
極力ブレーキを「踏む必要がない」運転を心がけています。
(「踏まない」運転ではありません。)

前の車との車間を多めに取り、
「前の車の加減速にできるだけ左右されない、できるだけ影響を受けない」
というマイペース運転を。

また、自分の前の1台の車だけでなく、
「その車ともう1台前の車の車間は…」
とか、
「5~6台の列だけど最前と最後の距離が狭すぎるな…
 全体的に詰まり過ぎだな…」
とか、できるだけ広域で観察して自分の動向を決めることが必要かなと思います。

余計な渋滞を作らない為にも、安全の為にも。



運転が楽しくてドライブが好きなのは、
こんなこと考えてるからかもしれません。
また久しぶりの記事ですが、今日はちょっと愚痴っぽいです。

スピーカーケーブルがなくなっていたので、昨日楽器屋さんに買いに行ったんです。

川崎Lゾーナの中にあるS村楽器です。

ちょろっと探したところモノが見つからなかったので、店員さんに聞こうと。

とりあえず手が空いてそうな女性の店員さんに。

 財『スピーカーケーブルはどこにありますか?』

 女『少々お待ちください。』

店長と思われる男性店員に聞きに行きました。

そして男性店員がこちらへ。

こちらの意思がちゃんと伝わってなさそうだったので、もう一度。

 財『スピーカーケーブルはどこにありますか?』

彼の向かう方向について行くと…

 男『えーと… 一応こちらが…』

そこはシールドコーナー。

 財『いや、シールドじゃなくてスピーカーケーブル。
   アンプのヘッドとキャビネットをつなぐケーブルです。』

 男『モノ-モノですよね…』

そりゃそうだ。

 男『少々お待ちください…』

電話でどこかに問い合わせ始めました。

 男『お待たせしました!
   赤と黒のアレですか?』

そりゃオーディオ機器用のステレオのケーブルじゃないか。

 男『あとはMIDIケーブルしか…』

話がそれてきた。

 財『つまりスピーカーケーブルはないんですね?』

 男『申し訳ございません…。
   当店にはございませんので…。
   他に置いてありそうなお店は、他社様になってしまうんですが…』

おっ 近くに別の楽器屋があるのか?





 男『あちらのビックカメラでしたら…』

 財『…』

アホかっ!

15分無駄にした!




スピーカーケーブルが何かも分からず、お店にあるのかどうかも分からず…。

つまり、自分が何を売っているのか分かっていない訳ですね。

彼が“このお店で”働いている理由はない訳ですね。

経営のプロかもしれない。

けど、それなら楽器店である必要はない。

自分が売る商品の知識くらい、勉強すればなんとかなるじゃないか。

彼にとって“仕事”ってなんなんでしょうね…。

僕が気にすることではないと思うけど…。

彼は店長なのかな…?




結局スピーカーケーブルは横浜の楽器屋で購入しました。

奮発してちょっと良いケーブル買っちゃいました。

今日のリハでラックケースを開けたら、奥から古いスピーカーケーブルが出てきました…。
一昨日(9/19)は僕の誕生日でした。

29歳になりました。

29歳でふと思い出したんですが…。




実は、2年前に兄が他界しました。

兄は29歳でした。

追い付いちゃったなぁ…。




兄は、
『29年間長かった』
と言ってましたが、
僕には『この先』の方が長そうに感じます。




兄の死からは色んな事を学びましたが、
その中で一つ思ったのは、

『死=悪い事・マイナスな事』
とは限らない

ということ…。


もちろん命は尊いワケですが。


『生』があって
『死』があるからこそ
尊いんですね。


『死』がなければ、
命なんて尊くないし、
粗末にできちゃうし。




奥田民生さんが言ってました。

『常に死を意識しているからこそ、今を一生懸命生きられる』




『死』というものを恐れたり、目を背けたりせず、

 あって当たり前

 いつか必ず訪れるもの

 『生』と『死』は2つで1セット

 生まれてから死ぬまでに何ができるか

 後の世代に何を残していけるか…

と考えて生きる。


死にたくないのは、まだやり遂げてないから。

どうせ死ぬなら、やり遂げてから死にたい。

だから今がんばる。


それでいいと思いました。





なんか…。

せっかくの誕生日なのに話が暗いなぁ!

早く35歳くらいになりたーい
『割り込まれた』
より
『譲ってあげた』
の方が優しくないですか?



『お金を出して買ってあげた』
より
『良い商品を貰うかわりに、感謝の気持ちとしてお金を払う』
と考えるのが本来のお金の意味だと思うし。



『怒られた』
より
『怒らせてしまった』
の方が、自分に原因がないかを探ることができる。



『怒られるからヤダ』
じゃなく
『怒り疲れるまで怒らせてやろう』
ってどう?



『環境が合わない』
んじゃなくて
『自分が周りに順応できてない』
のでは?



『一人で生きられる』
じゃなく
『周りの助けに感謝して、周りに何をしてあげられるかを考える』
ってのが自立だと思うし。



『貰うのが好き』
な人より
『与えるのが好き』
な人の方が尊敬できる。



『クローズアップして考える』
より
『遠くから全体を眺める』
方がよくわかったりする。



『必死にがんばる』
より
『朝起きてトイレに行くように、できて当たり前と思って臨む』
方が失敗しなかったり。







以上、俺流の『心のあり方』の一部。

オッサンかな?
電車で移動中です。

最近、新聞やテレビなどで教育問題がよく取り上げられています。

かつて教師を目指していた僕としては、ほんのり興味があるのです。

「もしあのまま教師になっていたら…」

最近のニュースを見る限りでは、
教師の「本来の仕事」以外の仕事が多い様に思えます。

「本来の仕事」も人によって捉え方が様々だと思いますが、
僕が考えるのは、学問を通して、
「理解して、考えて、伝える」
という力を育てること。

社会に出て、色々な人と関わりながら仕事をしていく上で必要な事だと思います。

こういった「力」が弱い人が、今の大人でも意外と多いなと、最近感じました。

きっと、今の教育問題は、今の大人が義務教育を受けていた時から始まっていたのでしょう…。

さて、教師の「本来の仕事」以外の仕事ですが、
主に「しつけ」や「対保護者(PTA)」の部分で、
これは全て、バカな保護者が「しつけ」まで教師に頼ろうとするからおかしな事になってしまうんだと思います。

全ての親がそうではありませんが、
非常識な親(大人)は確実に増えていると思います。

そして、そんな親が育てる子供は将来非常識な大人になるでしょう。

教育の現場が悪いのは、
子供がおかしいのではなく、
それに関わる大人が良くないんだと思います。

「モノ」が悪いのは、
「作り手」に問題があるからです。

たまには音楽と全く関係ない事を書いてみました。
『夢』

ここでは、寝てるときに見る夢の事だが、
夢というのは、実際に起こっていない事をリアルに感じる。
夢の中でおいしい物をたくさん食べても、目が覚めると満腹感はない。
でも、『おいしかった』という記憶は残る。

『夢を見る』とは、『眠りながら想像する』ことだ。

ただの想像なのに、おいしいと感じたり、痛いと感じたり、
冷たいと感じたり、恐いと感じたりする。

ただの想像が、自分の五感を刺激する。
そしてそれを記憶する。
でもそれは錯覚である。
五感は意外と曖昧だ。

 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

目が覚めている時。

目で見た物、見たつもりになっている物。
耳で聞いた事、聞いたつもりになっている事。

五感で得た情報には必ず感想というか、印象がついている。
それに付随して想像する部分も少なからずある。
そして、その想像ごと記憶に残る。
むしろ、想像の部分の方が大きいのでは…?

 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

見た物、聞いた音…等のキャラクターを作っているのは、
きっとその物自体ではなく、見た人、聞いた人の思考回路である。
その物自体には何の罪もない。


同じ音楽でも、聴く人によって捉え方や好き嫌いも異なるし、
同じ人が聴いても、その時の心境や姿勢によって聞こえ方は異なる。
もちろん好きになったり嫌いになったりもする。

 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

今の僕の課題は、
『演奏する曲をトコトン好きになる』
という事。
簡単ではないかもしれないが、好きになれたらうまく演奏できる気がする。

 *  *  *  *  *  *  *  *  *  *

もし、『人が恐い』とか『仕事が嫌い』とか思っている人がいたら、
考え方や捉え方をいろいろ変えて試してみると、
人も仕事も意外と好きになれちゃうかもしれない。

物事は全て、好きにも嫌いにもなれる。
難しい事だけど、キッカケがあれば意外とツルッといくもんだ。
これをうまくコントロールできる人は、
きっと何をやってもうまくいくと思う。

『いかに好きになれるか』って、どの分野でも大事な事っす。
長さ・重さ・強さ・時間… 等の『単位』は、人間が考え出した便利な発明品だと思う。

特に『時間』という単位について思う事。
一秒・一分・一時間…
一日・一週間・一ヶ月・一年…

時の流れは平等だと言うが、僕はそうとは言い切れないと思う。
人によって、状況によって、一時間を長いと感じたり、短いと感じたりするし、
年をとるスピードや成長するスピードも人それぞれだ。

セミは、成虫になってから、一週間ほどで死んでしまう。
その一週間で一生懸命鳴いて、子孫を残そうとする。
きっとセミには、時間や日にち等どうでもよく、
『一生』という単位しかないのだろう。
大事なのは、どのセミにも平等に与えられた『一生』という時間の中で、
目的を果たすこと。

人間の場合は、地球の自転・公転を元に細かく区切って、単位を付けて、それを基準にして生活している。
その方が便利だからだ。
しかし、その『時間』という単位は、『一生』の長さを基準に区切ったものではない。
『一生』の長さは人によって違うからだ。
つまり、『時間』と『一生』を同列に考えることはできない。

そう考えると、『年齢』というのも、ある意味曖昧な単位だ。
年上というだけで偉そうにしてる人を見ると、逆にショボイ人に見える。
早く生まれた・長く生きた=『偉い』とは思えない。
『年齢』と『人の中身』もまた、同列に考えられない。
短い時間でたくさん成長する人も、逆の人もいる。
年齢にばかりこだわる人は、年齢以外では勝負できないのか…?

『年齢』=何年間生きたか
ということだが、それはあまり大事な事ではない気がする…。
『年齢』というのはただの『目安』である。


僕は今27歳だが、ベーシストとしては8歳である…。
ベーシストとしての『一生』は、まだ始まったばかりです。
やるべき事が見えていない状態で生きているのは不安だ。
やるべき事を決めて生きるのは大事な事だと思う。

決め方は2種類あって、自分で決めるか人に決めてもらうか。
自分で決めると、厳しさ・甘さも自分次第なので、
相当の精神力がないと難しい。
油断すると甘えてしまう。

困った時には人に決めてもらうというか、人の言葉をそのまま信じてみて
実行するというのも良いかも。たまには。

でも理想としては、自分が目標に到達するための道を自分で見据えて、
それに合った「やるべき事」を設定し、甘えることなく実行する力があるといいんだけど…。
「自分に厳しく」って想像以上に難しい事だ。

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